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2000年2月10日(金)〜14日(月)に、同期のマサ・ケン・タム(いずれも仮名)と共に八方スキー場へ行ったときの手記です。
スキー場で撮った写真(Yae)

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2月10日(木)

 俺はいつも荷物の用意は当日になってあたふたとするのが常であるが、今回も例にもれなかった。残業でマンションに戻ったのは夜8時過ぎになっており、10時半の出発まで2時間あまり。ドラマ「3年B組金八先生」を見ながら、荷物を積み込み、メールを打ったりしているうちに、時間がなくなったので慌ててタクシーを捕まえた。非常食のパンと、食前に飲む漢方薬用の水を買って、いざ出発!

 夜行バスとはいっても、普通の観光バスの車両なので座席もあまり倒すことができない。一睡もできないのは覚悟していたけれど、仕事で疲れていたし、あわよくば・・・とも思ったが、やっぱり寝られなかった。バスは名神高速から中央道・長野自動車道を通り、白馬のシュプールに向かって静かに走り続ける・・・



2月11日(金)
 朝7時過ぎ、一行を乗せたバスは無事八方(はっぽう)へ到着。
 寒い!太陽は照っておらず、もやがかかった曇り空だ。
 送迎バスが出ていて、宿泊場所の「フォーラムロッジ」まで連れていってくれた。ロッジに着くと受付をすませた。ロッジのおばちゃんはユーモアもあり優しそうな人だ。
                
 着替えをすませていざ滑りに。上へ着くと雪質は抜群であったが、雪が降っており視界が悪い。こんな悪条件の中、雪の感触を確かめるように慎重に滑った。ほとんどが初級・中級コースだったので、まったく恐怖感はなかった。けれども、やはり1年のブランクは大きい。体重の乗せ方がしっくりこなかったり、なんでもないようなところで転んだりした。試行錯誤を繰り返し、あっという間に昼になった。

 昼食はゲレンゲの上で、豚キムチ丼(950円)にも惹かれたが、100円安いという理由だけで「カレーライス」(850円)を食べた。
 
 午後になると雪が激しくなり、ゴーグルが曇ってきた。タムは超慎重な滑りっぷりのためになかなか降りてこないので、彼が俺ら3人に追いつくのを待って、またみんなで滑り始める。けれどもまたすぐに見えなくなって追いつくまで待つということが続いた。彼のは滑るというよりかろうじて降りてくる感じである。そして、恐れていたことが遂に起こった。昨年の志賀高原の再来、2年連続のタムの行方不明事件であった。(今年こそは行方不明にならないようにと、ホームページの伝言板でも警告しておいたのに・・・!)

 去年の彼の行方不明は3日間の最終日であったためご愛敬であったが、今回は違う。みんな早く先へ滑りたい気持ちがイライラを募らせた。
連れの3人のうちの1人です。さあ、この人は誰でしょう?(文脈からすぐにわかるかも・・・)
 もともと3連休の初日とありリフト待ちにも長蛇の列ができていた。待っている3人はやがて吹雪にさらされ、視界はゼロになった。合計30〜40分ぐらいは待っただろうか、全く来る気配がなかったので、とりあえず彼に携帯をかけてみることにした。

「もしもし」
「どこにいるんや?」
「ずっと上のほうにいる。途中で板がはずれてしまって、どうしようもないんや。」
「探すからその場で待っといて。」

 マサとケンと俺はリフトに乗って彼の姿を探した。いない。今度は滑って降りていきながら探した。そして外れた板を必死に付けようとしているタムの姿を僕たちはようやく発見した。
 足場の悪い斜面では靴にへばりついた雪を除去するのにも大変だ。ましてや、スキー板がゆるんで靴が装着できない様子だ。
「一人では無理や。だれかに手伝ってもらい。」
 さらに10数分ほど待って、ようやくリフト乗り場のにいちゃんに板を調節してもらい、板がはめられるようになった。でも、時計を見ると既に夕方5時前。リフトの運転は既に終了しており、ロッジから大分遠くまで来ていた俺達4人は、板をかついで歩くしかなかった。

 遠い。しんどい。肩が痛い。
 なんでこんな目に遭わないといけないのか。
 ふと後ろを見るとタムが遅れている。ケンが左折箇所を合図して、3人は先へ行くことにした。

 ロッジまでの道のりは長い。途中に「モスバーガー」や「村さ来」があるのには驚いた。
 延々40分ほどは歩いただろうか。夜6時すぎにやっとの思いでロッジに到着した。窓から他の客が食事をしているのが見える。腹は当然のごとく減っていたが、
「先に風呂に入ろう。」
 精魂尽き果てた3人はそそくさと脱衣場に向かった。
 ロッジの風呂はあまり大きくなかったが、湯船につかってやっと落ち着いた。

 風呂からあがって部屋に戻ったが、タムは戻っていなかった。部屋でウエアを乾かしたりして待っていたが、彼はなかなか現れない。そのうちに、夕食に早く来るようにと催促の電話が鳴った。彼に携帯で連絡をとると、道に迷ったとのことである。
「一本道なのに、なんで迷うんや?」
「そんなん、知らんわ。」

 夜7時、先に夕食を食べることにした。
やっとタムも現れた。ロッジのおばちゃんは彼の姿を見ると、
「無事で何よりやったね。」
と本当にホッとした様子だ。

 満腹になりさらに自販機でビールを買い込むと「大富豪大会」に突入した。そして、ここで俺は前人未踏の11連覇の偉業を達成した。
 この時ばかりは世界は俺を中心に回っているのかと錯覚するほど、よいカードに恵まれ、もうこれでツキが尽きたかと思いきや、一端の低迷期の後、さらに12連覇。タムの「革命アシスト事件」もあってか、なんとこの日40ゲームの内25ゲームに勝利をおさめ、King Of Gamesの名を不動のものとしたのである。ボーリングで彼らに散々苦杯をなめさせられていた俺は、この日の大富豪に何も賭けていないことに後悔の念を覚えていた。

 ゲームが終わると布団を敷いて、4人は昨日の分まで熟睡した。
 ・・・いや、一人例外がいた。ケンである。人一倍デリケートな彼は、若干1名のいびきが大変うるさかったがために、なかなか寝つけなかったらしい。(可愛そうに・・・)

後編へ続く